2011年4月14日 お付き合いのある福島県JAそうま飯舘総合支所に災害お見舞い訪問いたしました。
2008年産米まで当地のあきたこまちをコンテナで仕入れていたご縁です。共に仕入れる仲間の米穀店が店を畳んでしまったため、ハードルが高くしばし休止してましたが、2011年分1コンテナを申し込んでいたのです。用水に一切の生活排水が入らない水管理。畜産が盛んなことから、有機質を上手に土壌に還元する栽培環境。このクラスでのお米の旨みは見事でした。

12:30 JAそうま飯舘総合支所着
農家さんとの太いパイプとなるのが営農部長の山田氏(写真奥)、支所長の庄司氏(右)と面談。手前はお米や仲間代表の鈴木氏と、お見舞いのご挨拶。

以下山田氏談・要旨
残念だが、今年度の稲の作付けはない。今のところ、先を明言できる根拠がない。
計画的避難・・といっても、どこに行きどう暮らすか描けない。休業や退職を余儀なくされてしまうことに対して、誰がどう補償してもらえるのだろうか。
放射性物質の除去に、耕作地の表面土壌5cmを入れ替える方法があるが、村の耕地面積にしてトラック130万台分に相当する。どこから土を持ってきて、どこに処分するか、現実味がない。
なぜ、原発30km圏外で飯舘村だけ高い放射線量が出たかは、水素爆発のあった翌日の降雪であろう。快晴の日であれば、もっと広範囲の影響になったに違いない。
報道各社、NHKほか、多くの取材・インタビューが来るが、結局視聴者受けする内容に編集されている。伝えたいことが伝わっていない。韓国のメディアの取材は断った。彼らが真に復興を願っての取材なのか疑問を感じる。
目に見えない被災は、なにか割り切れないものがあるのだと。
その後南相馬市のJAそうま本所に移動し、お見舞い義援金を渡す

代表理事の遠藤氏(左) お米に関しては、JA管内では計画の1/5程度しか実質達成しないと見込んでいる。津波被害、緊急時避難区域、計画避難区域では耕作ができない。また仮に用水を流すと海岸沿いの津波被災地域の地盤が低くなっている為、水浸しの地域が出かねない。
「海岸沿いに行ってみますか」~遠慮しておきました。千葉県から青森の一部まで被災していることを思うと・・・・重すぎます。
当初、お米や仲間の鈴木氏が「お見舞いとして義援金送るだけじゃいかんわ」と、一人で訪問するつもりでした。
「仲間や友達が病んでいたり困っていたら、励ましたりお見舞いします。いつもならJA職員さんが福島駅まで迎えに来てくれるでしょうが、お見舞いに行くのにそれはないでしょう。原田も行きます」ということで同行いたしました。
被災地と、そこに暮らす方々のためにできることは、義援金・節電・経済の活性化。特に福島県は風評という目に見えない被災を全県で負っています。なんとな~く・・とうのはナシにしましょうね。
今日はこのへんにしておきましょう。